よく抹茶茶碗として作られたものでご飯を食べてもいいのでしょうか?というようなご質問を受ける。
多分、うつわの作者の意図と違った使い方をしてかまわないのか?という心配だと思うが、私の考えを言えば、うつわの用途は固定のものではないと思う。
使う人にうつわを大事にする心がありさえすればアイディア次第で、どのように使われても構わない・・と思う。
  
 例えば

  「木の椀」は汁物
  「陶磁器の碗」がお茶
  「金属、ガラスの碗」がお酒

とよく言われているが、これは決まりではない。
夏には、お茶をガラスで飲む場合もあるし、陶磁器でワインを飲む場合もあるだろう。冬には陶磁器で温かい汁ものを頂くのもよいものだ。
かつで児童文学者の椋鳩十(むくはとじゅう)さんと抹茶茶碗のことでお話しをしたことがある。
「自分の気に入った抹茶茶碗で毎日ご飯を食べて殿様気分になって満足している」と話されていた。それを伺って「しっとりとした手触りの抹茶茶碗で豪快にご飯を頂くのは、確かに気持ちがよいかもしれない。同時にうつわを満足して使ってもらえる・・ということは、作り手にとってもうれしいことだ。」と感じた。
 

「抹茶茶碗が特別なものである・・」という考え方は、かつての「焼き物を作る側の論理であり価値観」ではないかと感じる。その方が確かに「高価な値」をつけるのかもしれないが・・。
 
私にとっては、使う側がその「うつわを大切に思うか」が大事なのだ。
物の使い方次第で生活が豊かな気分になれるのなら、それが一番すばらしいことではないか、と思っている。