ぐい呑み、酒器、抹茶茶碗、湯のみ、片口鉢、作家 萩原啓蔵 の陶芸作品をご紹介しています。
オンラインショップ | sitemap



「 釉薬 」 に関する記事一覧


【022】出品の意義

中央地方を問わず、秋の美展が開かれており、すばらしい作品が私たちの目を楽しませてくれます。
家庭に飾るには大きすぎないか?例えば100号~200号(1号:はがき大)の絵画や、50cm各の大壷を出品する場合によく聞かれます。
これらは、美術展出品用として制作したもので、家庭に飾るとか売り物として作ったものではありません。

 出品された作品は、美術展という大舞台でこれまでの努力成果を競う訳ですから、華やかな衣装を着け、おおきなステージでも映えるような化粧をして、審査に合格できるよう、一生懸命作るのです。
つまり、通常の制作とは違った形で「自己表現」「自己アピール」をする必要があると思います。

 陶芸に関しては、審査の対象として「造形美」と「装飾美」があり、常に新しい感覚で創作しているか?ということがポイントとなります。
私は、かねがね生徒のみなさんには「他人に作れない作品を自分自身の発想で創作し、そして新しい発見をして欲しい。」と申しています。
もちろん、陶芸はする目的は、人それぞれに違うと思います。趣味程度で楽しむのもよいかと思います。
ただ、少なくとも私は生徒さんには、ある程度の技術を習得したら、厳しい道であっても挑戦することに意義を見出して欲しいと指導をしています。

 それにしても1年に数回ある美展のため、売れもしない大作を10個20個と作るなんて…とおっしゃる方もいるかもしれません。
けれど、夢を持ってひたすら作りつづけ、自分なりの発想と表現にウデを磨くことは、すばらしいことではないでしょうか。
それは、陶芸に関心のない人にとっては、おかしく感じられることかもしれませんが本当に夢に突き進んでいる当事者にとっては、毎日の創作や、この充実した日々は、何物にも変えがたいものなのです。

【020】岩石粉の漂白

  綿布や動物の皮を漂白することはごく当たり前に行われていますが、岩石の粉を漂白することは余り聞きません。

 しかし陶芸の世界では自然の岩石の粉末をなんとか満足できる色彩に仕上げるために、試行錯誤をくりかえしている現状です。
 工業的には鉄分を磁石で除去する方法と、もしくは強酸で洗浄して石灰で中和する方法が用いられています。
ただし、強酸を使用したあとの岩粉は残念ながら陶芸材料としては適合しなくなります。

 先般、カイラギ釉を作り出したときにも岩石粉の漂白に大変苦労しました。
黒い石粉を白くするのに#80、#100、#120の目の篩(ふるい)でふるっても焼き上がりはダークグリーンとなってしまいます。
それでも当初は満足していましたが、そのうち、もっと白い色にできないものかと思いつづけた結果、遂に、漂白することを発見できたのです。 
淡い卵色に発色するカイラギ。お茶のうつりもよく、満足しているところです。

【019】釉薬の原料探し

 先日、雨の日の夕方、かねてから目をつけていた砕石場に行くと、側溝から赤色の濁った水が流れていました。
 流れに沿って登っていくと「立入禁止」になっていましたので、とりあえず水溜りの赤い泥水をビニール袋に入れて持ち帰りました。
漉網(こしあみ)を通して沈殿させ長石と半々の分量で混ぜて釉薬を作り、試験的に焼いてみたところ、予想以上の出来ばえに感激しました。

 この石粉を基礎に「マグネシウム」「バリウム」「骨灰」「亜鉛華」などの培養剤を加え、配合を変えてみると7~8種類もの違った釉薬ができることがわかりました。
 今まで1つの種類の原料で、これほどバリエーション豊かな色が出せるものはありませんでした。
それだけに、良い材料との出会い、探し出せたことは、陶芸をするものにとっては、最高の喜びです。

 後日2tトラックで微石砕だけを求め保存していますが、原料に余裕があると日々の研究・実験が楽しくてしかたありません。
自分だけのオリジナル釉薬をつくり出すこと、そしてそれをもっと極めたい気持ちでいっぱいです。と同時に、正直な気持ちを申し上げると、当分誰にもこの「原料の場所」を教えたくありません。
でもこれが本当の気持ちではないかとも思います。

【018】カイラギ釉について

DSCN3336

(前回に引き続き、カイラギ釉について)
 新しい釉薬を作るには、自分の研究意欲を持ちつづけるだけでなく、努力や手間を惜しまないことだと思っています。また同時に、私を支えて協力してくれる、家族、友人、知人のおかげだと感謝しております。
 
 私は地元のさまざまな土石(珪藻土)を捜し求めて「カイラギ釉」の研究を続けております。それは自然の恵みを受けられる地方だからこそできることなのかもしれません。
 とは言うものの、原料の土石(珪藻土:けいそうど)を探し出した後、険しい山の斜面を登り下りして掘り出し、しかもそれを担いで車のある場所まで運んでくるのも一苦労です。
しかも、採集した土石を粉砕して、さらに何度も篩(ふるい)をかけて釉薬を精製していくまでの間に原料は半減してしまいます。
また、せっかく作ったバケツ一杯の釉薬を丸ごと捨てることも往往にしてあります。このように難儀して作った釉薬がいつもうまくできるとは限りません。日々、失敗とやり直しの繰り返しの毎日なのです。

 けれども
「カイラギを作りたい。2001年までに完成させたい。」
という思いや目標が、私を支えてくれたような気がします。
現在、5,6種類の「カイラギ釉」ができ、ほぼ確実に「カイラギ」を再現できるまでになってきました。
今後も研究を重ね現在の釉を基本にして、あと5,6種類くらい「変わったカイラギ釉」を生み出すことが次の目標であり夢です。
 ここ鹿児島県の古い窯元には、天目・ソバ釉・柿釉・アメ釉・イラホ・黒釉・ドンコ・ダカツ釉・・といった特殊なすばらしい釉薬があります。
けれども私は、まだ誰も手がけていない「カイラギ釉」にこだわり、作り出し続けたいと思っています。

【015】シラスの利用

 鹿児島県一帯は、桜島火山の噴火によって流出した溶岩が風化した「シラス台地」といわれる白い土層が分布しております。
この「シラス」は、雨水を吸収すると崩れやすく、軟弱な土壌が度々災害を引き起こす欠点があり、厄介物とも言われております。
 
 ところが近年、各分野でこの「シラス」を利用する研究がされており、例えば「塗料」「ガラスウール」「濾過(ろか)器材」など、さまざまな製品が作り出されています。

 私もこの「シラス」を利用して陶芸用の釉薬を数種類作ってみました。
(後ほど、その作品はホームページでご紹介したいと思っております。)
地元ならではの素材を使い、味のある作品をといつも心がけております。
まだ研究の余地がありますが、未利用資源の宝物になるのではないかと大いに期待しています。
 ちいさな努力の積み重ねで、まさに21世紀は創意工夫の時代になるように思いますし、同時に夢をふくらませております。

「シラス」を利用して陶芸用の釉薬をつくる



【005】釉薬の種類

先日
「木の灰の釉薬と岩石の釉薬の違いはなんですか?」
というご質問を頂きました。今回はそれについて少し説明をしてみたいと思います。


木の灰から作った釉薬を「木灰釉(もくはいゆう)」、岩石を採取して作った釉薬を「土石釉(どせきゆう)」もしくは「岩石釉(がんせきゆう )」と呼んでいる。

木灰釉」は、日用食器などの、どちらかというと艶があり、手触りがつるつるした感触が好まれる器に主に使われる。
一般的には、長石70、木灰30の割合で配合したものが透明釉と言われ、それに、ベニガラ(酸化鉄)やコバルト、二酸化マンガン、銅などを少量加えることによって、いろいろな「色釉」をつくることができる。



一方、「土石釉」は「しぶいしっとりとした」釉調を出す場合に使う。
代表的なものとしては、柿釉、黒釉、イラホ釉などがある。

名前からすると「土石釉」というのは、ごつごつした石や岩のイメージがあるが、実際には採取してきた岩を細かくつぶし粉状にした後『石臼』でひき、更に60メッシュの『ふるい』でこして、その上更に100メッシュの『ふるい』をかける。そして最終的には、手でさわると、どろどろとした状態にまでになっている。

自然の土や岩石の中には、石灰、バリューム、マグネシウム、また鉄分が含まれている。その含まれている岩石成分の違いによって、焼き上げた時に、いろいろな変化をもたらすというわけである。採取した場所によって含有物が異なるために発色や出来上がりの雰囲気が違ってくる。



私はこの不思議な釉薬の魅力にとりつかれ、いろいろな場所の土や岩石を採取しては、どんな窯変を起こすかを調べたり、釉薬同士を調合して新しい釉薬を作り出す研究を続けてきた。そしてそれこそが、私の生きがいでもあり楽しみにもなっている。
釉薬を分析したり調合したりして、いつかは100種類以上の「オリジナルの釉薬」を作ってみたいと思っている。研究してきた釉薬の内容(料理で言えばレシピにあたるもの)と実際その釉薬を使ってできた作品とを併せて編集して、本にして残したい・・それが私の将来の夢である。

【004】釉薬の追求と失敗

新しい釉薬を研究する中には当然失敗もある。今回がそうだった・・。
前回採取してきた同じ岩を粉砕して釉薬を作ったものの、窯出しをしてみると、内側が「釉はがれ」(釉薬がめくれあがってはげてしまうこと)になってしまっている。

同じ場所で採取しても岩石成分が微妙に違うことや、岩石の洗浄が十分でなく塩分が残ったままであったこと、そしてまたここ1週間ほど寒い日 が続いために、「厚がけ」をした釉薬が完全に乾いていなかったこと・・ 
などが原因のひとつとして考えられる。



私の求めている「カイラギ」とは、美しい「ちぢれ」のことである。
それは「収縮しにくい粘土」を使い形を作り、素焼きしたあとに今度は「収縮しやすい釉薬」を使って1250度で焼く。
「カイラギ」は両者の収縮度の違いによって生まれる。ただし、この自然の美しさを確実に実現するのは、かなり難しい。・・・だからこそ 貴重なものといえるのかも しれないが。



失敗作は、私にとっては失敗作である。
生徒たちは「これも味があっていい。」と言うが、カイラギの追求と言う意味では、私自身が納得ができるまで、試行錯誤の繰り返しのような気がする。また自分自身の内面を振り返れば
「2000年度の新作をはやく発表したい。確実なものにしたい。」
というあせりもあったのではないかとも思う。
 
 『神は愛する者のみ試練を与える。人を相手にせず、天を相手にする。』
 この言葉をかみしめながらまた挑戦したいと思っている私である。







Copyright © 2024 keizogallery (陶芸家 陶芸作家 萩原啓蔵)


トップへ戻る