ぐい呑み 「黒白」 力強さと優しさと
黒白
きりりとした力強い側面と、柔らかなやさしい側面を併せもっているような作品。
激しくて、でもクリアな澄み切った音。そして、静かで、それなのにどこまでも美しいピアニシモの音。
まるでピアノを聴いているかのような気持ちになります。
(実はこの記事もあるピアニストの曲を聴きながら書いているところです。)
作品「黒白」 を見比べてみるのも面白いです。
黒白
きりりとした力強い側面と、柔らかなやさしい側面を併せもっているような作品。
激しくて、でもクリアな澄み切った音。そして、静かで、それなのにどこまでも美しいピアニシモの音。
まるでピアノを聴いているかのような気持ちになります。
(実はこの記事もあるピアニストの曲を聴きながら書いているところです。)
作品「黒白」 を見比べてみるのも面白いです。
啓蔵がオリジナルの釉薬の研究のために、試験サンプルとして作った皿をこれまでにもご紹介してきました。
今回ご紹介する釉薬サンプルの皿は、とっておきの釉薬です。
実はこの釉薬のサンプルを初めて見たとき、既視感のようなものを感じました。
いつかご紹介しよう、と思いつつずいぶん遅くなってしまいましたが..。
音楽を聴いたとき、人それぞれに感じ方は違うことでしょう。
私の場合は、すばらしい演奏を聴いたとき、目の前に色彩が広がるような気がします。
既視感と書きましたが、この釉薬の色の変化の印象が、ある若手ピアニストの演奏と重なったからでしょうか。
そしてこの夏、実際に彼の演奏を生で聴き確信しました。
苦悩の表現を音にのせて、深く心に沁みるようなピアノの演奏。そこここに広がる演奏家が醸し出す色彩。
何度もこの釉薬の発色のイメージを思い浮かべました。
小さなモチーフを繋いでひとつの作品を作り上げる。それは音楽であっても、陶芸であっても、なにか通ずるところがあるような気がします。
黒白
この作品を見たイメージは「きりりとした端正さ」です。
私はピアノ曲を聴くのが好きなのですが、ピアノの音でたとえるならば、硬質なピアノの音、でしょうか。
よく見ると、地味なようで、実は、白い釉薬は動きがあって力強く、表現がおもしろいです。(ここが啓蔵作品らしいところでしょうか。)
今回の作品のように(粘度が低い釉薬を使って)白い釉薬をかけると、きりりと引き締まって見えます。
景色が、本当におもしろい作品だと思います。
ぐい呑み「嵐」
動画とぐいのみシリーズが意外と評判がよいので、とても気分がのっている店長であります。
この曲にこのぐい呑みが合うなあ、と思うものをこれからもご紹介していきたいと思います。
先日facebookでご紹介したものですが、
・ぐい呑み「嵐」
・ピアノ曲 Liszt Sonata
「吹くとだに…むべ山風を嵐といふらむ」とリストが、繋がるような…。ダイナミックな風の大きなうねりが見えるようですね(*^^*)(H様)
墨渦釉
動画を流しながら仕事をすることが多いです。
動画のピアノ曲に合わせて、一番似合うぐい呑みを。
先日、浜松国際音楽コンクールの模様がテレビで放映されていました。
世界各国から集う若いピアニスト達の競演です。
四千人以上の観衆が見守る中、ステージに上がり演奏をする参加者の皆さんの心情を察するとき、音楽を知らない門外漢の私でさえ胸の詰まる想いがしました。
予選本選と進む中、審査員の方のそれぞれの批評もあり、演奏がはやすぎた人、演奏を間違えた人、一応無難に弾きこなせた人、自身ありげな表情をみせる人…と様々でしたが、最終本選に進むと、なんと今度はオーケストラと共演するのでした。
この様な大舞台で演奏できることは並々ならぬ努力と技量と表現力、更に自信と度胸がないと「もてる力量を充分に発揮できない」ことだなと思いました。
途中、落選した人たちへの審査員からのアドバイスとして
「ピアノは心で弾くもので審査員のために弾くものではない。また自分のためにも弾くものである。幾度か失敗を繰り返し脱皮しないと大きく成長しない。」
との言葉がありました。
参加者の皆さんそれぞれに、幼いころからピアノを始め、中学高校大学海外留学と精進を重ね、また幾多の世界のコンクールにも挑戦してきた人達です。楽譜を頭に中に叩き込み、ステージに立つ…それでもミスタッチをしてしまう。
それだけに最終の本選まで残りオーケストラをバックに四千人もの聴衆を前に完全な演奏ができる、ということは幸運としか言い様のないことです。
最後まで残った方々の話として「私は良い指導者にめぐまれたから」「スランプの時に励まして立ち直るアドバイスをくれた先生がいたから」
というのが紹介されていました。
本人の才能や努力もさることながら、やっぱり相性の良い先生との出会いが幸運のはじまりであり一生の宝なのかもしれないとも思いました。
たくさんの意味で感動したピアノコンクールでした。
少し古い話になりますが、卒業式の迫った2月、小学校6年生担任のM先生から「卒業記念に心のこもった手作りの品を子供達にプレゼントをしたいのですが焼物で何を作ったらいいでしょうか?」との相談を受けました。時間な余裕があれば珈琲カップ等でもいいのでしょうが、30数名の子供達の分を作るのも大変だし、それなら「手作りの金メダルは?」と提案しました。私がこれだけは1番だと胸を張って金メダルを胸にかけ喜ぶ子ども達の姿を想像したからです。
従来の学校では「成績のいい人」が上位で縦並びの評価を受け、本来人間として一番大事な「埋もれているその人のよさ、持っている特技、能力」が陽の目を見ることなく卒業していきます。みんなが「自分の持っている誰にも負けないなにか」持っているのにもかかわらず、です。
M先生は早速子供達に「誰にも負けないこれだけは自分が1番」ということを作文に書いてもらいました。かねておとなしい目立たない子、元気な子・・・それぞれが自信に満ちた、木登り、ピアノ、マラソン、朝起き等々を書いていて、作文を通じてひとりひとりをあらためて知ったそうです。
先生は、子供達のために、校章入りのメダルを粘土で作り、裏にそれぞれの名前と特技1番を彫り焼き上げたのちに金のスプレーで仕上げました。
卒業式の当日、紅白のテープのかかった金メダルを一人一人の首にかけ、ほめてあげたそうです。それには、子どもはもちろんのこと親も、感激したそうです。また校長先生をはじめ並み居る皆さんからこのアイディアを高く評価され喜ばれたそうです。
それを聞いて私は、子ども達(もう大人になっているかもしれませんが)に自信や喜びが刻まれたことだろう、と思いました。
どんな子ども達にも、可能性がある。教育者はそれこそを子ども達に教えてあげて欲しい、伝えてあげて欲しいと思います。
M先生はその後、地方の校長先生となり陶芸を中心に地域の文化活動をがんばっています。